まーた昔のメモが出てきた

私は高校の時、「何者にもならないまま死にたい」とよく言っていたのだけれど、多分「なんか凄い『何者か』になりたかった」んだと思う。何者かになりたかったけど、自分にはその才能がなくて絶望して、まだ可能性が残っているように見える高校の間に死にたかったんだと思う。20までに死にたいとしょっちゅう言っていたし。何者でもないというのは私にはめちゃくちゃしんどかった。要は肩書きがないということなのだけれど、社会から切り離された宙ぶらりんのような、自分という存在を定義づけてくれる鎧がない状態だった。生まれた時からずっと。学生時代というものが私にとっては地獄だったのだろう。人間関係がどうとかではない。親の庇護の下、学費を払ってもらっているという状況が昔から耐えられなかった。

だから大学で大量の奨学金を借りた時、私は思ったのだ。「自由に発言できる。」

貨幣制度は人間が作り出したフィクションにも関わらず、明確に上下関係を生む。私の父はクズだが、幸いなことに「誰のおかげで飯が食えると思っているんだ」とは一言も言わなかった。まぁ働いてなかったしな。でも私は心のどこかで金を出してもらっているという罪悪感が昔からずっとあったのだ。私がいなければ多分もっといい生活がてきだだろうな、と。勿論私の家は貧乏ではなかったが、それでも、だ。(大学受験の時にグレすぎて塾代がとんでもないことになったことは一回棚に上げておこう。あの時は闇堕ちしていたので、私の苦痛に比べれば親の金は全部使って当然、くらいの感覚だった。仕方がない)

 


話を戻そう。そもそも何故私がこの記事を書いたか、だ。それは私がようやく何者かになれるからだ。その安心感が凄い。資格まじでやばい。よく「お前の能力が必要なんじゃなくてお前の持ってる薬剤師免許が必要」と言われる。実際そういう仕事もある。明らかに正しい。そして思う。そのとても必要な免許を取ったのは私やで、と。