あけおめことよろ(事前の挨拶)

絶対年明け以降書けないと思うので今書いておく。


なんでかって?それを今から書くんや。

ということで振り返っていきましょう。

 


4月に妊娠発覚して、昨日産まれた。

 


もはやほぼこの1件のみです。(今は産後ハイで寝れない!とかじゃなくて普通に麻酔切れて後陣痛とか会陰の痛みで目が冴えてしまったのでブログ書くなら今だ!今しかない!と書いています。麻酔効いている最中にしこたまうつらうつら寝てたので、多分そこまで睡眠不足じゃない筈。)

 


やっと1年の出来事を3行以内にまとめられる日が来た……(他なんかあったかもしれんけどこれのインパクト強すぎて今妊娠出産のことしか頭にない。あたりまえ体操

 


主な妊娠イベントとしては悪阻かな。吐いたりはなかったけど丸の内線が異常に酔う為、出勤途中で気持ち悪すぎて会社数日休んだ記憶。あと、ご飯のたびに食べたいメニューが決まりすぎてて、それは結構困ったかも。今日の夜はお好み焼き!とか今日はエビフライ!とか。その苦しみと食べたものを一時期トツキトオカで書きまくってだんなに共有していました。トツキトオカは子供のことを記す場所ではなく日々の愚痴を(そういえばD.D.=デジタルデトックスとしてTwitterとかインスタとかで発信するのやめたので、仕事とかの鬱憤はすごい溜まっている)書き散らかして旦那に読ませる場所だと思っているので、おそらく私は妊婦の風上にも置けないタイプ。

 

 

 

 


と言うことで出産レポ↓

産休入って1週間後のAM1時に破水してその日に産まれたの普通にビビった。あと無痛しか勝たん。24時間無痛のところにしたんだけど、予定外に破水して入院、その後やってきた陣痛が激痛すぎて一睡もできないまま(大部屋に1人だったので、普通に「痛い…痛いヨォ……」ってでかい声で言ってた。迷惑)子宮口1センチ→6-7時に3センチで麻酔順番待ち中の8時台に7センチまで開いちゃって、やってきた麻酔科医をビビらせてしまったのは流石に草でした(痛すぎて全関係者に「痛い」「息吸えない」「無理最悪」しか言ってなかった。

麻酔効くまでに時間かかるのも理解してるけど痛すぎて効くまでは痛いって言い続けてたもんな。その節はすみませんでした)。

とはいえこっちはこっちで、数多の看護師たちに「陣痛中呼吸浅いから赤ちゃんに酸素行ってないよ、深呼吸して、力抜いて!」言われても(いきみ逃しできないくらい痛いわけよこっちは!)っていう気持ちでした。痛いんだもん。

そんで麻酔入れてもらった後は楽すぎてごはんもりもり食べてた。そんで9時くらいに旦那に電話して(実質モニコやったらしい。何も食べずにすっ飛んできてくれて感謝しかない)あと眠くて陣痛の間に寝てた。これは良かった気がする。でも逆に陣痛弱まっちゃって、中々9割から全開せず、最終的に促進剤追加して全開→生まれたのが16時台なっちゃったのは赤ちゃんやら医療従事者やら旦那やら各方面に申し訳なかったな。

 


というのも、多分なんですけど分娩室移動当初から私自身が産む覚悟まだあんまりなくて、麻酔後は結構ぼーっとしつつ、旦那としゃべりつつ、うつらうつらしつつ陣痛耐えてたんですよね。破水からも時間経ってるし、赤ちゃん的には苦しいはずなんだけど、心拍ずっと元気モリモリ、でも陣痛の回数はちょっと減ってて、みたいなのが5時間くらいあったんかな?で赤ちゃんは元気だけど流石に促進剤入れてお産進めましょっか、それでも無理だったり赤ちゃんの心拍下がったりしたら帝王切開ですよ、みたいな話になって私が(カイザーは嫌だ!カイザーは嫌だ!CV小野賢章)って思って、促進剤入れてから流石に真剣にお産に集中して深呼吸繰り返してたんよね。そしたらそこからは早くて、あと私が異常にいきむのがうまくて、結構すぐ産まれたって感じでした。

生まれる瞬間はなんか、赤ちゃんとの初めての共同作業!って感じだったし、なんとなく私がお産の覚悟決めるまで待っててくれたような気がして(緩く来る陣痛も戯れあってるような感じ、本気じゃないというか。まぁ麻酔の関係も当然あるんでしょうけど)流石にごめんち、そもそも35週すぐで早めに産まれてくれてるのに心拍保ってくれて頑張ってくれてまじ感謝って感じでした。

ということで今赤ちゃんは自発呼吸できてるけど一旦NICUにいます。俺は今は下腹部が痛くて痛み止めが欲しくて仕方がない。

 


ここまでがお産概要

ここからは旦那の惚気

 


まじで破水時休みで旦那がいてくれて助かった。陣痛バッグも入院バッグも9割完成したぜ、でも出産準備品含めブラックフライデー使ってまだちょっと揃えないといけないものがある、明日届くものもある、くらいの日に破水したので大慌てだし、私は私で急すぎてちょっとパニックになって手も震えてたけど、旦那が冷静にタクシー呼んで荷物持って入院手前まで付き添いしてくれてたので、本当に助かりました……。

ウチの旦那は産後の恨み一生系ノンデリ男ではないと確信している。ていうかそういうできた人と結婚するために婚活七転八倒してたんやし。

立ち会い当日も長時間ずっと一緒にいてくれて、(帰ったら仕事ある言うてたのに)ラストスパートはずっと手を握ってくれていて、産まれた時は泣いてて、なんていうか、いい旦那さんだよなぁ〜っていう。

今日とか流石にゆっくり家で寝て欲しい。明日も休みやけど仕事する言うてたけど。

 

 

 

 


ということで、

 


去年の振り返りと今年の目標

 

・ちゃんとした服、靴を買う

→服、靴は買ってないけど、ファンデは資生堂にした、脂漏生皮膚炎も冬の間にピロエース塗って(病院行けよ)完治させました。

 

 

不妊治療を継続する

→◯ 出産した。


宅建…マンション管理…賃貸管理…とか

→MURI

 

・英語

→MURI

 

・料理

→いくつか激うま料理のレシピ見つけられたので良かった。また、料理自体の失敗率が確実に減った気がするから、言語化できないところで(主に味付け方面で)うまくなっているのだろう。

 

・団地1〜2戸買う(もしくはアパーーーート)

→追加で買えてないけど買ったやつは貸してる

 


・まーた鬼太ったので15キロくらいダイエット

不妊治療+お産で鬼太ったので、完母ダイエットします


・計画の立て方を学ぶ

→計画の立て方なんぞ子育ての前では無力

 


今年の目標

・結構早々に来るであろうワンオペ育児を死なずに予防線を沢山はりつつ乗り切る

※最初の1ヶ月目は育休の旦那とツーオペ、2ヶ月目は東京にきてくれる実母とツーオペ予定。でも予定は未定。誰も死ぬんじゃねーぞ…!!

 


ほんじゃあ覚えてたら再来年。またね。

 

 

物怪講義録をアニメ化していたの全く知らなくてさっき一気見した。原作も絵柄は志水先生とはいえスピンオフだしあんまり期待してなかったけど、ぶっちゃけ私的には今までのメディア化の中で一番良かった。やっぱ原作に忠実なキャラデザのまま動いてくれているのはまじでありがたい。無闇矢鱈にイケメン化せず、無闇矢鱈に髪型を変更せず、どもらせるところはちゃんとどもらせ、奇行も忠実に再現してくれる。助かる……!ってなった。声優さんもイケボ推しとかじゃなくてちゃんと癖をつかんで話してくれてるのまじでありがたかった。純粋に百鬼夜行のメンバーがそのまま出てくれてる安心感あったので、本当に願わくはこのデザインこの演技のまま姑獲鳥からやってほしい……原作からかけ離れていない作品が見たいねん……。

 

ところで、上京して漸く百鬼夜行シリーズの土地勘がわかってきたんやけど、逆に当時の鉄道網で皆どうやって移動してたんやろ?ということが気になっている。本編初期とか丸の内線もまだ走ってない時代!

木場修とか小金井から警視庁まで通ってたの?遠くね???とかめっちゃ思ったな

あと今回の物怪講義録に出てきた榎木津の実家もどこなん?って気になっちゃった……

事件現場は最近広範囲なのであんまり気にしないけど、逆に事件ない普段はどういう行動範囲でどう動いてるんだ?電車の速度とかも気になるよね〜〜

っていうどうでもいい疑問

あけおめことよろ

特に書きたいことないから早速振り返っていくで〜

 


今年は2月に結婚式して、6月にバリ新婚旅行(エルパトは見事失敗)、9月に本社系職に転職して、ヘアドネして、人生初の詰め物系虫歯治療して(虫歯自体は無痛だったけど治療が痛すぎて2度と虫歯作らないと決めた)、11月に投資用で団地1部屋買って(貸せるとは言ってない)、11月から妊活(旦那激務につきタイミング取れず凍結精子使えるのが顕微授精しかないのでいきなり体外)やってる〜〜

 


多いな

 


ネムーンとか虫歯とか1個ずつ記事にしようとは思ったけど結局書ききれず……年々文章を書く熱量が消え失せていっている……気がする……振り返りも一つ一つの事象を説明する体力ないもんな 多すぎて 経緯とか考えとか説明するのがちょっときつい(1年に詰めすぎとも言う)

 


妊活もさぁ、PCOS気味だとか色々書こうと思えば書けるんだろうけどめんどくさくて……とりあえず東京都はあちこちに助成いっぱいだから活用オヌヌメぐらいかな……

 

 

 

去年結局目標立てなかったので、今年の目標

 

・ちゃんとした服、靴を買う

→まぁそろそろ縫製のちゃんとした、テロテロの生地ではない、普通の分厚さの生地の服を買おうなっていう話ですね。年相応とか以前に自分が着てて何かと不快なことが多かった1年でした……。同様に化粧品もなくなり次第資生堂とかに変えていきたい所存。無印の化粧水がリニューアルしたら死ぬほど肌に合わなかったのでそのあたりも解決したい。こめかみ周りの脂漏性皮膚炎も治しきりたいし。

 


不妊治療を継続する

→仕事との両立を続けたい。まずはそこから。


宅建…マンション管理…賃貸管理…とか

→取りたい……すでに意思が消え掛かっている……けど……。

 

・英語

TOEICとかはまだまだ先の話でなんか細々と…なんか……やっときたい……。

 

・料理

→色んなレシピをやって、時短レシピ!とかではないタイプのちゃんとした料理で、単品単品でめっちゃ美味くできる料理がちょっとずつ出てきたので、その数を増やしつつ美味しい打率100%にしたい。一汁三菜を手際よく作りたい気持ちもあるけどそれは来年以降かな……。

あとは料理食べた時に調味料何入ってるかある程度分析できるようになりたい。学習と経験と実践あるのみ。

 

・団地1〜2戸買う(もしくはアパーーーート)

→年1で買いたい、そして貸したい。初心者どこまでできるかわからん。

 

・まーた鬼太ったので15キロくらいダイエット

→こいついつもリバウンドしてんな


・計画の立て方を学ぶ

→行き当たりばったりすぎてな、流石に上記全部やろうとすると計画立てて走らないと死ぬんでな…計画立ててロボットみたいに走らないと流石に厳しい気がします。(できるとは言ってない)

とはいえ長期計画モノを2-3個並行していると謎にメンタル落ち着くので良い傾向ではある。

 

 

以上です。年々支離滅裂になっている気もするけどまぁまた来年。

あけおめことよろ

 

書き終わってから思ったんだけどあまりにも支離滅裂が過ぎるわ。今年これでいいのか?

 

 

 

2月とかまでほっぽってたらあっという間に3月に行ってしまいそうだから今書く。だって2月中旬に結婚式だからね!!ブログどころじゃないからね!ほんとは今もそれどころじゃないしこれ書く前に式ラスト用の親への手紙書けボケって感じですがそれはもうなんか…また今度……

 


毎年この時期多分帰宅の電車の中とか風呂の中とかあったかい場所で書いてるし、今日も予定ではあったかい部屋であったかい飲み物飲みながらのんびり書こうと思ってたんだけどダイエットスムージーしか夜飲んでなくてまじでひもじくて書く気普通になくなった。胃酸と共に溶けちゃったやる気はどうしようもないから明日に回そうと思ったらひもじすぎて寝れなくて結局布団の中で書いてる。あと暖房とか関係なく東京寒い。寒すぎる。ひもじいし寒いしつらい。どうしようもないから毎日深夜帰宅の旦那を待ちつつ筆とるわ。

 

 

 

去年色々ありましたね!3行どころかブログ

上半期で1記事作っちゃったね!まぁそれは一旦置いといて。

 


・鵺の碑のこと

鵺!!読みましたか?読んでない人はどんな形態でもいいから買って読んでください、いいですね?つーか、なっちが続編書く気でびっくりした。ちな鵺、失業中に家事全て放棄して2日ぶっ続けで読んだ。楽しかったな〜久々に活字読んだ感あって嬉しかった。これこれ!これが読みたかったんよ〜ってなった。ちなみに鵺発表された時に某知人と某友人に号泣グループ電話をかけました。っつーか百鬼夜行ネイルもわざわざ六本木まで買いに行って3人でシェアしたし、なんつーかこの時期にこのお仲間が全員東京にいるのはまぁ奇跡だなって思ったりしてた。

 


・親父のこと

相続地獄が終わったっぽい。ぽいというのは母親に全部投げたから。だからあんまりしらない。最近は親父のことで、泣くのは減ったかな。2週間に1回くらい。あとはなんか結婚式ムービーの写真選びとかしてるとまぁ泣いちゃうけど。

 


・同窓会のこと

結果的には楽しかった。昔は小学校の人間関係がこの世で一番トラウマで地雷だったのですが、なんか自分の嫌なところが結婚によって消え去ったので、清々しい気持ちで会いに行けた。あとまぁいじめてきてた奴らが全員いなくてハッピーだったのもある。まぁ皆色々ある(あった)よね、ってこの年齢くらいの同窓会から徐々に言えるようになってきたんじゃないでしょーか、時間薬ってやっぱり本当にあるんだなぁ、という気持ち。

 


・転職のこと

キャリアチェンジなんてできる訳もなく、普通に家から近い薬局で働いてます。

英語?アルファベットの識字が怪しい人間にそんなことを期待してはいけない。

年収?普通にダウンした。23区内薬剤師飽和しすぎな。過疎地ほど年収上がる仕事普通につらたん。

 


・旦那のこと

新婚生活中、余りにも旦那が色々細かくうるさいので、私が限界を迎えてしまい、私の母親を交えた3人で朝まで生テレビ(午前3時)をやった。死ぬかと思った。その結果わかったのが私は他人に色々言われたくない人間で、旦那は他人に言いたい人間だった。言われたくなかったら言うな、という大前提を理解させ、なんやかんや色々擦り合わせた結果なんかこう、うまいことやってる、とまでは言わんけどまぁぼちぼちやってる。とりま私は自分の意見を言うようにする、旦那は自分の意見を出しすぎないようにする、で一旦着地です。

 


・去年の目標の振り返り

 


料理を頑張る→×

この目標立てた頃はね、お高めの料理教室申し込んでたんですが、ね……帯同したからキャンセルになってその後バタバタバタ子さんだったから今の今までずっとダメ。冬とかほぼ毎日鍋。料理するけど頑張ってはないですね。

 


・今年の目標

ごめんマジで結婚式とハネムーン終わったくらいに考えさせて…ハネムーン6月だから下半期だけど…

仕事もなんか段々量増えてきてるし毎日毎日色々ありすぎてまじで頭回んないんだわ……願わくはハネムーンのどっかでエルメスのバッグと巡り会えたりしませんかね……免税で投資商品として買いたいです……

 


ほんとは料理も頑張りたいし茶道だってしたい、ゴルフだってしたい、でも時間がない、そしてそろそろ妊活の足音が聴こえる……ワシの人生一体いつ暇になるんや…?ほなまた来年。

父が死んだ

こういう書き出しで、15年近く前、私は好きなアイドルの夢小説を書いていた。夢小説と思えないような書き出しで、京極夏彦気触れの文体で、全くのフィクションを、そこそこの長編を書いていたことを唐突に思い出した。

 


理由は父が死んだからである。

 


私と父の物語は、びっくりするほどありふれた不幸とびっくりするほどの愛憎に満ちている。ここに母も加わると悲惨なエピソードがさらに増え、なんというか、お互い傷つけ合うことでしか愛を確かめられない、を地でいく家族だった。しかも根本的な原因はお互いではなく、各々の親だったのでもう本当にタチが悪い。歴代ずっと呪われた家系のように脈々と受け継がれる自営業家系の悪しき文化と親子関係を煮詰めに煮詰めた最終兵器、それが私の両親だった。

 


さて、とはいえ今回は別に父親との愛憎混じった数多のエピソードを披露するわけではない。それはまた何かの際に数行の散文的にまとめられたショートショート的な何かになることはあるかもしれないが、とにかく今回ではない。

 


理由としては、今このような文体で比較的淡々と記載しているが、その実キャパオーバーでメンタルがずっとボロボロで、隙あらば泣いてしまうので、ちょっと外部に吐き出すことで自分を整えよう、という魂胆だからである。なのでエモエモにどっぷりひたるつもりは今のところない。

 


いつもは1年を3行にまとめよう!とか、ブログは年1更新で大丈夫!みたいなノリで書いているけど、今年は上半期で既にお腹いっぱいなので、一旦書いておく。

 

 

 

昨年は彼氏ができたところまでだったかと思う。その彼氏と3月半ばに入籍した。理由としては彼氏が3月下旬に転勤になったから。なので急遽2月末にプロポーズ、それから私の職場に辞意を伝え、毎週のようにお互いの親への挨拶をこなし、親の顔合わせと入籍をほぼ同時にこなし、旦那になった彼氏は身一つで転勤(一旦ホテル暮らし)していった。

 


父親とは長いこと別居しており、4年前の土下座事件以来会っていなかったので、結婚は私が有休消化中の5月に報告するか〜と思っていた。

そしたら父が癌末期で4月頭に発覚後即救急で入院して1週間で他界した。たまたま本当に運良く発見してくださったのは父の趣味のアメフト観戦仲間の方だった。発見してくださらなければおそらく孤独死として扱われていたし、私たちは看取れなかったと思う。感謝してもしきれない。

 


意識ある状態で面会したのは1日だけ、コロナ禍ではあるので母と私は1人ずつ15分の時間しかなかった。4年ぶりに見た父は下顎呼吸で話せる状態ではなく、時々痛そうに腕を伸ばし、ガリガリで両手にミトンをつけていて、びっくりするくらい顔色が悪かった。あんなに酒とタバコをやめなくても全然丈夫だった父親が、ガタイが大きくて、いやむしろ太っていて、力の強かった父親が、びっくりするくらい細かった。私は母より後で入室して、その光景を見た後に、初めて結婚を伝えた。父は静かに聞いていたと思う。多分。それから、孫の顔と花嫁姿を見せられなくてごめんということと、父から学んだことはちゃんと実践して生きているから心配しなくていい、ゆっくり休んでほしい、父親でいてくれてありがとう、みたいなことを言っていたと思う。あと幸せな人生だったか聞いたら大きく頷いていて、なんかもうそれで十分だった。

それから面会の時貧血になったので、ちょっと病室で座って私は無言でいた。それで、もう、限界だった。急に言われて病院に来て、それはちょっと。こっちも荷造りでバタバタだし。仕事の引き継ぎもあるし。「じゃあ、お疲れ、」と言って、父から目を背けるように病室から出てしまった。

どうやら余命は長くて2-3ヶ月と言われていたらしい。

 


それから2日後、私は荷造りした荷物を旦那の大阪の家に運び込んでいた。旦那の家からの荷物分しか会社持ちの引越し代が出ないからである。母の友人がトラックで運んでくれるというので、ご厚意に甘えて運んでもらった。母親の友人は私のことも昔から知っている方々なので、今回のことも当然知っている。おめでとうとお悔やみ申し上げますの両方の言葉を同時に聞くツアーは、ここから始まった。

 


運び終わって、それから何となく、母とお墓参りに行くことになった。父がおそらく入るであろう墓に、よろしくと伝える為である。母は義実家にも色んな思いがあったようだが、それでも墓参りは欠かさない人だった。私もよくついていっていた。だから墓参り自体は手慣れているが、とはいえ号泣しながら参ったのは初めてであった。その後、私はすぐ近くの母方の祖父母の家へ、母は喪服を買いにデパートへ向かった。

暇な瞬間、誰かといないとどうにかなりそうだった。事実、不安すぎて毎晩絶対骨なんか拾えないと旦那に泣きながら電話していた。あと結婚してすぐに義父とはいえ会ってない人の骨を拾わせてしまってごめんとも言った。旦那はいつも大丈夫と言っていた気がする。

 


コーヒーゼリーをもらいながら、祖母とお茶を飲んでいた時だと思う。母から電話がかかってきて、いよいよ今晩怪しいと病院が言っているから、と向かうことになった。

 


16時ごろに到着して、それからぶっ続けで5時間、私達家族は最期まで病室で過ごすことになる。父はすでに麻薬を入れられた後で、意識は失っていた。こんなご時世でも、意識ある間に結婚を伝えれて本当に良かったと思った。でも激痛だっただろうからゆっくりしてほしいと思った。それからはずっとほとんど、わたしが話し続けていた。改めて旦那がどう言う人かとか、スターウォーズの新作をやるらしいとか、父の推しチームがスーパーボウル優勝して良かったね、とか、そう言う話を、私がずっと、小さい頃からずっと、ずっと家族3人ででやりたかった雑談を、した。

 


21時ごろ、母が「喪主なんだから帰って準備しないといけない、帰りたい」と言い出した。病院から自宅まで1時間半ほどある。確かに帰って準備しないと間に合わない。でも私は嫌がった。これから夜に向かうと絶対に父が体力的にしんどくなる。なぜか病気の時は夜しんどくて、昼が楽なのだ。その時に最後まで一緒にいてあげないとダメだ、今から帰って準備してまた戻ってきた時には多分間に合わない、と、かなり珍しく駄々をこねた。でも母も譲らない。正論である。そこで私1人が残れば良かったのだろうが、父がこれからどう死に向かっていくのか、もし暴れたりしたら…等とにかくチキってしまってそれも嫌だった。おそらく30分近く、でも、でも…とずっと喧嘩の膠着状態が続き、最終的にはナース2人も巻き込んだ討論会になった結果、とはいえ終電がなくなってしまうまでにはやはり帰った方がいい、と決断し、私が、「じゃあ家に帰る!」と言った瞬間、

 


父のバイタルサインが一気にゼロになり、そのまま眠るように他界した。釈迦の誕生日だった。

 


父は最後までまでやりとりを絶対聞いていたな、と思った。バイタルが下がっている時に母と2人で大慌てて「ごめん、最後まで揉めてごめん!」と言い続けるコントみたいな展開になっていた。とても私達らしい最後だな、と思った。

 


さて、それからなのだが、私と母は悲しみの中、至極淡々と葬式に向かって段取りを進めることになる。ちゃんと看取るということが、遺されたものにとってこんなに気持ちを切り替えさせるものなのか、と思った。経験しなければわからない。父が、父だったモノになった時、すっと、腑に落ちたような気持ちになった。決してさっさと亡くなれば、と思っていたわけではない。それでも、ちゃんと弔わなければならないという気持ちだけで2人とも動いていた。

 


その後コロナ禍では滅多にできなかったエンジェルケアをし、父と一緒に長いリムジン?みたいな車に乗って葬儀屋に向かい、そのまま段取りの話を23時くらいからして、その日はそのまま帰宅して寝た。

 


通夜は日取りの関係で2日後だった。転勤したばかりの夫が忌引きを使って帰ってきて、通夜の時に親戚にいきなり紹介する形になった。通夜も葬式も、経験したことある方はわかるだろうが、てんやわんやだった。父の友人が何人かきてくれて、全部で30人ほど、小さな式だったけど、多分疲れたし、職場にも連絡したし、ほんと、疲れた。職場なんか、結婚のお祝い金と休暇申請した直後に今回のお金と休暇申請をしたので、かなりびっくりしていたと思う。

 


ちなみに骨を拾えないと泣き喚いていた件だが、いざ拾う段階になると母子共にノリノリで拾っていた。いかんせんあの時代に178㎝ある大男の骨なので、焼けても結構ちゃんと残っているし、大腿骨は30㎝以上あるし、脊椎なんか標本か?ってくらいでかかった。多分直径3㎝以上あった。大転子とかも2㎝以上あったので、途中から感心しながら拾っていた。

 


さて、とりあえず葬式は終わってひと段落ついて、まぁ次は49日なのだが、運良く有給中に49日の日取りが決まった。なのでその間に荷造りをする訳なのだが、ここで一つ問題が発生した。

 


相続である。

 


結論から言うと母が全部相続することになったのだが、現金だけでなく不動産があるせいで、売却等の手続きもしていかなければならない。なんか業者とか、色んな偉い人となんか色んな話をした。相続が母のみになると確定するまでは、ほぼ全ての窓口は私である。なぜなら母は、父の死亡届も書けないほどのパニックっぷりで、とてもじゃないけど何もできる状態ではなかったからである。

 


これのせいで、まじで荷造りと氏名変更が進まず、予定より1週間も転勤先に行くのが遅れてしまった。

 


余談だが、父の死亡届を書けない母の代わりに私が記載したことにより、作ったばかりの新姓の判子を初めて使ったのがその死亡届だった。何とも言えない気持ちである。あと楽天でサクッと作っておいて良かった、と思った。

 


とりあえず、6月の上旬に転勤先に移った私は、その後怒涛の氏名、住所変更を行い、ハロワに行き、失業手当を貰う算段をつけ、絶賛求職中である。相続は…母が多分爆発しながらちょっとずつ進めているはずである。ごめんな、大阪おれんくてな…でも乗り越えてくれな…という気持ちである。

 


そして6月。まさかのSnowManコンサートペイペイドームday2に当選していたので、母と2人でメンタルボロボロの中見に行ってきた。ちなみにその前後で派遣薬剤師の業務がたまたまあったので、私は遠征費はタダである。運がいい。というか、その日は6月18日で父の日であったので、多分プレゼントを父がくれたのだと思う。普通逆だけどそう思うことにする。ライブめっちゃ良かった。Cryoutまじで良かった。頭おかしくなるかと思った。またやってくれ。

 


さて、それで約1週間福岡に滞在して、帰宅して、それから職探しである。

 


普段だったらいつも通り薬局で探すのだが、急に、急に自分のキャリアプラン(というかアイデンティティ?)が立て続けにぶっ壊れてしまうようなことが起こり続けて、全くわからなくなってしまったのだ。

ずっと薬局で給料を追い求めるのか、旦那の海外転勤の可能性も考えて英語をちょっとでも使う仕事に未経験で着くのがいいのか(そもそも薬局経験から行くの難易度高い)、そもそも医療業界全体雲行きが怪しいし…等々

 


それと父のこと、いきなり見知らぬ土地こと転勤先に来たこと、等々重なって気持ちが追いつかず、ずっとキャパオーバーして、ことあるごとに泣いているのがここ数日である。夫は小学校以来泣いたことがないらしい人間なので、私が泣いていると大慌てする。よしよししながら何で泣いてるのか説明して、と言われるが、とはいえバックグラウンドが違いすぎて、説明しても理解してもらえない、となるので、私はまた溜め込んで号泣する。というかそもそももはや何で泣いているのかもうわからないけど泣いている、の悪循環である。

それがあまりにも続くので、流石にまずいと思って、もう長いこと使っていなかったこの文体で長々と記すことにしたのだった。

 

 

 

これでも端折ってるのに長いな

 


そして、今とりあえず父の百箇日法要(と小学校の同窓会)の為に、急ぎ帰阪している。

 


本みたいに話が纏まるわけないし、現在進行形で物事が日々動いていて、オチがないことがブログの醍醐味だと思うので唐突に筆を一旦ここで置くが、とにかくパニックである。旦那曰くキャパが狭いらしいが(そういうことを平気で言うところがきらい)、とりあえず目下は、大阪着いてお昼ご飯何食べようかを考えることにしたい。あと氏名変更完了した薬剤師免許も取りに行きたいし、なんだかんだやっぱり今年ずっと忙しいしメンタル休まる日が1日もなくてキレそう、という話だった。じゃあまた。

 

あけおめことよろ

やっぱ1月はバタバタしてて落ち着いて書けるのこの時期以降なのよね…

去年1年はなんか…色々あったな…(毎年恒例)

 


3月に異動して、4月に去年の7月から休職期間を使ったダイエットの延長でちまちま減量した結果10キロ減に成功して、6月に転職して年収100万増えて、11月に彼氏ができました。

 

 

 

多くない?

詳しくは書かないけど、多くない?去年はなんか色々一気に良い結果が出た年だった気がする 今年はまた現状維持じゃないかと思います。種まきながら現状維持がんばろ

 


年1しかブログを書かないと、本当に何をどう書いたらいいかわからなくなってしまうね。特に近年の1年はなんだかんだで長く目まぐるしいので、全部忘れているのでしょう。実際執着せず忘れた方が実は色々幸せだと気づいたし。

 


ということで大学時代の拗らせ記事を読み返していて、流石に居た堪れないので消したり消さなかったりしているのだけれど、当時からは明らかにメンタルが色々変わったんだろうけどでもやっぱり当時の自分を否定しきれない自分もいて、ある意味今の状態に至る為の過程としてどん底は必要だったのだと正当化しようとしたりしなかったり。なんだかんだ結果を出しているからそれに伴ってメンタルは安定してきたのかなと思ったり。やっぱり私は過程と結果だと結果重視なのかもしれない…。

 

 

 

とかいろいろ書いたけど閑話休題

 

 

 

いつものやつやります。

 


去年の目標の振り返り

・アサーティブなコミュニケーションを心がける→◯

ぼちぼちできてる気がする。少なくとも私自身のメンタルは結構安定してる。嗜癖に浸りそうになったら立ち止まるようにするのも大事な気がする。

 


・duolingo、drops、筋トレ、ウォーキング続ける→1年間限定だとほぼ◯

彼氏できるまではできてた、よ…。時間が圧倒的に足りなくなってしまってな(仕事が安定してないというのもある)。

3月辺りから落ち着くと思うからやる…かも…?でも今年の目標は今年の目標であるからそっち優先かも。ちなみにduolingoは1年皆勤の実績は開けてあります。英語やろうと思って始めたけど、結局は中国語のお陰でここまで続けられた感ある。頑張った…

 


・爪を噛むのをやめる→×

ジェルネイル剥がすわ無理無理カタツムリって感じ これはまた後年のサイレント目標になりそう(10キロ減量の時みたいな)

 

 

 

 


今年の目標

・料理を頑張る

美味い飯が家で食いたいのよ、美味い外食高いのよ…という理由です。引き続き自己投資をぼちぼちやっていきたい所存です。マイペースにね……一気に頑張れるタイプじゃないからね……

 

 

 

以上です。毎年読み返してて思うけど、時間は待ってくれないなって思う。それなりに濃い1年を毎年過ごしてるから特に悔いはないけど。あと年々自分自身の人間力の為に投資していきたくなっている傾向にあると思った。言うて人間力は最後は周りの人に還元する為でもあるんだけど。まぁぼちぼちやっていきましょう。

 


じゃあまた来年。